春の嵐が吹き荒れた3月末、路上園芸学会さんからお声かけいただき、その大会にお邪魔いたしました(新代田)。
路上園芸学会さんはブルーグラスミュージックを奏でるミュージシャンでもあり、学会の歌(ろじょ〜 ろじょ〜 路上〜 園芸♪)や合間に演奏もあるなど多彩な演出により、外の天気とは裏腹に春爛漫のほのぼのとした雰囲気を味わえました。
大会では、路上園芸学会さんのフィールドワーク発表からはじまりました。
とくに熱海や三浦方面のエスニックな物件には目を見張りました。
また会場からも、
「懐かしい」「原風景を感じる」「自宅には巨大なパンダがあり、その周りにアジサイの鉢植えがあった」「海外でのリサーチも期待」「花巻の実家をぜひみてほしい」
などなど、さまざまな建設的ご意見・珍情報・笑談もご披露いただいたほか、新潟からは路地歩きのカリスマ野内さんも駆けつけていただき路地のまち新潟のお話をいただけるなど、路地裏園芸観察学の未来に光をみた思いがしました。
当会からは、僭越ながら創設にいたる経緯や標本の分類などをご説明させていただき、今後は集まったみなさんと連携しながらこの「見るだけ園芸」活動をより広く、多くの方々にも楽しんでいただけるよう、さらなる発展を誓い合いました(これまで幾たびも折れそうになったことなども吐露しつつ)。
共通の感覚や理解をもってくれる仲間がいるということの心強さを改めて感じた1日でした。
写真は大会後にオプションで行われた「夜の路上園芸観察会」の模様です。
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by lascaux_deu
| 2014-04-02 09:50
| 世田谷区
当学会の勝手に顧問と呼んでいる、園芸家の柳生真吾さんからお電話をいただいた。
こんど出る本のあとがきを書いたので、送ります。とのこと。
感激である。
本とは、名著・カレルチャペックの「園芸家12カ月」の新訳なのだそうで。
くわしくはまた本が届いてからにするとして、そんなこともあって手元にある同書の中公文庫版を久しぶりに開いてみた。
たまたま「7月の園芸家」の章にしおりがはさまっていたのでそこから読み出す。
すると……
「植物に(中略)いろいろの区分があることは、ご承知のとおりだ。つまり、原産地と、その植物の見出される場所、繁茂している場所によって区分されているのだ。
諸君がもしいくらかでも植物に興味をもっていたなら、カフェーには、たとえば燻製品専門店とは別の植物が茂っていることに気がつくだろう。また、ある種、ある属の植物は、駅では非常に成育がよく、ある植物は踏切りの番小屋で好成績をあげていることに気がつくだろう」
すぐにわたしは「これだ」と思った。
当学会では路地裏、下町、住宅街など特徴ある古き良き街をたずねては園芸を見て歩いてきたが、いまひとつフィールドワークとしての方向を決められないまま、漫然と時だけが過ぎていた。
チャペック先生がすでにはじめていた植物地誌。
わたしは昼休みを延長して、事務所から自転車を停めたままにしてあった押上駅まで歩いてみることにした。
わずか直線距離1.5キロほどの道のりだが、とりあえず商店と園芸に向かって記録を撮ることにした。
理容店
ナンテン、フウセンカズラ、ハナニラ、ドラセナ(かな)、ゼラニウム、盆栽、猫よけペットボトルなど
米店
園芸なし
不動産仲介
かわいいお花系、緑の寄せ植え系
床屋さん
釣り花系、ヨモギみたいな系、ビオラ系、ハナニラ
ハンコ店
園芸なし
そば店
ミニシクラメン、サルビア、ニチニチソウ
クリーニング店
ノウゼンカズラ
魚や
園芸なし
学習塾
カポック、アロエ
ワインバー
ブドウ
製●所
でかいドラセナ系
鍼灸院
青じそ、ヒイラギぽい、アロエ
薬局
園芸なし
鉄道線路脇
セイタカアワダチソウ
以上であった。
米店はほかにもあったが、やはり園芸はなし。
薬局も同様である。
すでに若干だが傾向が現れている。
また、柳生顧問は以前、鉢植えだけを見て、その店がそばやであることを言い当ててみせた。
やはりわが国ならではの植物地誌があるに違いない。
明日はもう少し都会を見て歩く予定です。
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by lascaux_deu
| 2013-10-22 15:21
| 考察
仕事の関係で、情報収集にgoogle alertを利用している。
そのなかで「協会」というアラートに「
日本おもと協会」の記事が・・・
おもとといえば、投機の対象として盛り上がった時代があったことは
なんとなく知っていた。
しかも「明治のころは万年青をめぐって殺人事件があった」というネタを、
むかし小耳にはさんだので、国会図書館で古い新聞のマイクロフィルムをかたっぱしからあたったことがあったけれど、
結局たどりつけなかった。
もしご存じのかたがいたら、ぜひ情報提供よろしくお願いします。
そのことがあったので、もしおもと協会の方がご存じだったら、とHPを観ていると、
事務所は両国。昼休みをつかって自転車で行ける距離だ。
さっそく電話してみると、男性が。
「日本おもと協会です」
お、ほんとにあるんだ〜 と実感しつつ、用件がとっさに思い浮かばず、
「パンフレットを分けてください」と言ってみた。
「一部20円です」
有料なんだ、と思いながらも、まあいいかと話を続けた。
「両国に用事があるので寄ってもいいですか」
「どうぞ。パンフは100枚からです」
え。一瞬絶句。
「い、一部でいいんですけど」
「あ〜、一般の方。それなら進呈しますよ。住所をどうぞ」
「いえ、近くに伺うので……」
この日は12月にしては10月並の陽気。
気持ちよく自転車を飛ばし、駅前の雑居ビルへ。
事務所の扉を開くと、60代とおぼしき男性が3名ほどと、女性がひとり。
けっこう忙しそうだ。
おもと界の繁忙期っていつなんだろう、と思いつつ
「さきほどお電話で……」
「ああ」と奥からメガネの男性が。
「おもとを始めるの?」
ええ、まあと言葉をにごしつつ、パンフを受け取る。
蛇腹折のまあまあ立派なパンフレットだ。
パンフを見ると…
「日本おもと名品展」の開催、萬年青銘鑑(3部作)の発行、年3回の会報「萬年青」の発行、新品種の登録及び名称登録の受付・審査などを行っている。
また、展示大会・お棚見学会・交換会・おもと教室(研究会・講演会)を支部単位で開催している。」
とある。
万年青名鑑とは、相撲の番付表のように、「全盛稀貴品」「全盛貴品」「別格稀貴品」などランクわけされている表で、おもとの3分類(大葉、中葉、小葉)について作成されるもののようだ。
(日本おもと協会HPより)
そしておもとの観賞のポイントはその葉にある。
斑の入り方、ねじれ具合、芸が見どころとあるが、
葉の「芸」!?
植物に芸をさせる、日本文化のマニアックさよ。
ぜったいいつかはおもとの審査会に潜入してみせる〜
殺人事件のことはすっかり忘れて、両国をあとにしたのでした。
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by lascaux_deu
| 2012-12-08 13:24
| 墨田区
わたしのホームグラウンドでもある京島の路地園芸が、台風直撃をまえにどんな備えをほどこされているか、
昼休みの時間を借りて偵察に出ました。
ほとんど地元しか通らないであろう裏通り。でもわたしが好きな通りでもあります。
やはりヒモ。
いとうせいこうさんが「下町園芸の特徴はヒモにあり」と喝破されたとおり、台風の備えはヒモ頼み。
レンガづくりの花壇(というほどの広さではないですが)だけでは支えきれなくなったのでしょう。
ナイロンヒモによって格子にしっかりと結ばれておりました。
これならどんな強風でも安心でしょう。と主は思っていることでしょう。
しかし、自然の脅威は想定を軽々と超えることを私たちは学びました。
安全とは消えゆく神話なのです。
どうみても頭が重すぎるこのカイヅカイブキがこれで支えきれるでしょうか。
つぎの長屋。
ここは壁面緑化を推定50年は続けているのではと思われます。
もうこのくらいベテランの域に達すれば、台風など屁でもありません。
そのまえに家の心配がしたくなります。
そしてキラキラ商店街への抜け路地のお宅が心配になって行ってみました。
やはりヒモです。
しかも立てかけたリヤカーを重しに渡してあります。
しかし、左端は赤軸のユズリハにしか結んでありません。
これは台風への備えというよりはピタゴラスイッチ的遊び心の表現か、と思いました。
そう、せいこうさんといっしょに押上を歩いてくれた柳生真吾さんは別の特徴を見つけました。
ビワです。
言われるまでまったく気づきませんでした。
というよりどこもそうなのかと思いました。
下町路地園芸にはビワが多いのです。
鉢植えは基本ですが、玄関の正面に育った巨木もスカイツリーそばにはあります。
そしてそろそろビワの季節です。
淡いオレンジの実が路地のそこここに見られます。
でもだれも食べようとしません。
それどころかホース置きになっていました。
食べるためにビワを植えているのかと思っていましたが、
そうではないようです。ビワはバケツに植えて、モノを掛けるのに都合がよいようです。
バケツといえば、ちょっと先にいくと、この鉢植えにしてこの巨木!
という自慢の園芸を擁する喫茶店があります。
写真では見にくいのですが、青いお椀のような鉢がその器です。
そこに樹高推定3メートルは優にあるサクラ(樹種不明?)があるのです。
関係ないけど隣は和菓子屋さん。
こうして昼休みは終わりました。
こんどは鉢植えの巨木めぐりを試みたいと思います。
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by lascaux_deu
| 2012-06-20 18:11
| 墨田区
半年ぶりに陸前高田を訪問しました。
訪問の目的は、高田松原を守る会のみなさんをはじめ市長に「希望の松」をめぐって、
枯死宣告を受けたあの松が今後どうなっていくのか、どうされたいのかをお聞きするためでした。
それについてはいずれまたまとめる予定です。
さて、その陸前高田のおとなり、住田町は津波被害はなかったものの、
あの揺れですから、建物の損壊や停電はありました。
そしてご町の職員の方々は、自分らの町の復旧対策は3月11日に行い、
翌12日からは、陸前高田、大船渡の両市の支援にあたるため動いたことで知られています。
その陣頭指揮にあたられた住田町長、多田欣一さんにお会いすることも今回の目的のひとつでも
ありました。
「きょうから1週間は寝るな。寝ずに陸前高田と大船渡のために働け」
町長はこう職員に指示し、水、燃料、食事など必要物資を補給し続けました。
なぜ1週間? とお聞きすると、
「1週間経てば全国から支援が集まってくる。それまでは絶対に生き延びたいのちを
守る、それが気仙人としてのあたりまえの努め」
と町長。
そして支援と並行して、日本一の林業の町を目指す住田町が行ったのは、
木造仮設住宅の設置です。
翌月には3箇所、93棟の被災者用仮設住宅を町内に作りました。
これは全国でも最速の対応とうかがっています。
また速さのみならず、地元産のスギによる木造住宅は、
「温かい」「癒される」「香りがいい」
など心身への健康への効果もあります。
仮設住宅で自治会長を務める佐々木さんは、
「流されてしまった以前の家よりも温かくすごせています。またプレハブの仮設に比べて
天井がないので圧迫感がないし、収納にもなるので非常に快適」
これはつまり天井が梁がむき出しの構造なので、
そこにベニヤを渡して天井裏収納になったり、釘をうって棚をつけたりができるので
便利であるということだそうです。
次回は、なぜこの仮設住宅が3月12日から着工できたのか、木造であることのメリットなどを伺います。
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by lascaux_deu
| 2012-02-25 13:17
| 住田町