おー夏みかんだ。
秋から冬にかけて生った実を、とらずに5月頃(旧暦の夏)までつけておくと甘くなるからナツミカン。
そういえば、ディズニーシーの植栽担当の方が、メディテレーニアンハーバーの ザンビーニブラザースリストランテの裏にあるレモン。実が生っても採らずにそのままにしておくと甘くておいしくなるって言ってたなあ。
ここは墨田区立花。立花は橘。だから柑橘類があるんだー と一人合点して路地裏を行く。
でもまてよ、なんかネットで手厚く保護(防護?)されてない?
足元には「立ち入り禁止」のパイロンまで立ってる!
正面の護衛には、ナンテンとマツちゃんが歩行者を威嚇するように立っている。これは手強い。
もしや知る人ぞ知る高級品種か。
夏みかんとえば、幼稚園か小学校くらいまでは家で食べていたけど、気がつけばその存在はグレープフルーツにとってかわっておりました。
もう夏みかんって何年も食べてないかもー、酸っぱかったなー と味覚の記憶をたどりつつ、子供が風邪で幼稚園休んだつきそいで午前半休いただいてしまったので、生産量の推移など調べてみる。
農水省のデータは近年のものしか見当たらなかった。そこで夏みかんセンターを擁する萩市の資料
「夏みかん物語」をあたる(グラフ)。
この生産量の乱高下はすさまじいですねー。資料本文には、「寒い冬が来ると夏みかんが寒害に受け(中身がスカスカになる)」とある。
栽培面積のグラフも重ねて表示されているけれど、生産量と面積がシンクロしているようなそうでないような。
これほど不安定な作物で食べていくのは、かなりのご苦労があったのではと推察いたします。
気候だけでこんなに生産量に落差があるかな、経営成り立つんかいな? と半信半疑のまま昭和のグラフに目を移す。
戦前ほどではないにしろ、まだ生産量に高低があるたいへんな農産物やなーと思いつつも、戦後では昭和50年あたりからのフリーフォール的な大暴落が目立ちます。
これは例の「関税および貿易に関する一般協定(GATT)」の東京ラウンドが1973~79年に開かれたこととは無縁ではない様子。
我が家の食卓から夏みかんにとってかわってグレープフルーツが席巻するのもきっとこのくらいだったのでしょう。
ところで資料に興味深い記述がありました。明治維新で食い扶持を失った藩士たちを食べさせるため、そして萩から山口市へ経済の中心が移ってしまったため、斜陽の時代を迎えた萩を復興させた立役者が「夏みかん栽培の父」こと小幡高政。
小幡は「耐久社」なる会社を起業し、夏みかんを地場産業として成功へ導いた。
当時のデキる藩士はみなベンチャー起業家だ。
ところが栄華をきわめた夏みかんビジネスも、いまではグラフが示す通り。
このままでは全滅か? とまでいわれるほどいまでは瀕死の状態になってしまったようです。
そしてさらに、いま疑惑の大臣がハンコを押してきてしまったTPPが、追い打ちをかけるようにやってくる。夏みかんはほんとうになくなってしまうのか。
だから、墨田区ではこの宝石のような夏みかんを持って行かれないように厳重に(?)網で防御しているのか。すごいぞ墨田区立花町、下町の、崖っぷちの柑橘類を守れ! ガイアの夜明け!
それはともかく、宿敵グレープフルーツの輸入自由化から約40年、このままでは、生産はおろか、夏みかんという種そのものがなくなってしまうのでは! との危機感から、種の保存や栽培、技術研修をめざし、2012年、萩市に新しい会社が設立されたのです。
その名も「株式会社耐久社」。(新、とかネオとかつかないんですね)
小幡高政にあやかって、なんとか夏みかんが持ちこたえてくれるよう、応援したいものです。
耐久社 夏蜜柑(6個)
専用木箱に6個入りで3000円+税也。耐久社ブランドの萩夏みかんは高級果実ですね。
ご贈答にもいいね。
路地裏園芸観察でもヒット率が高くなってきたランタナ。
花の色がころころかわることから、七変化などともよばれるそうですね。
たしかにきれいだし、花期も長いし、人気です。
京島地区のとあるゴミ回収場ではゴミ景観との中和をはかっているのか、かなり手厚く園芸されてました!
ところがこのランタナ、聞くところによると、世界侵略植物ワースト100に数えられるなど、悪名高い(?)存在として知る人には知られているようです。
たしかに、実には毒素(lantadenとかlantanineという名前らしい)が含まれていて、「食べると、視覚障害、脱力、嘔吐、心臓障害を起こし、死に至る場合がある」(「邪悪な植物」朝日出版社, p139)とまでいわれて、かわいい顔して中身はデーモン、のようないわれようです。
にもかかわらず、路地裏園芸として好まれている理由のひとつに、ほとんどメンテナンスフリー、という世話いらずな面もあるどころか、へたに剪定などいらぬ手入れをすると、よりいっそうブッシュ化してしまうという強靱な繁殖力をもっているようです。
オーストラリアなどではランタナ見たら引っこ抜け、といわれるくらい毛嫌いしている地域もあるようですが、世界的にはもうこのひとたちを除去するなんて不可能に近く、ランタナの世界征服は秒読み段階にはいっているようです。路地裏では世界の流れに反してどんどん増殖中ですし・・・
だったらランタナを利用しちゃえばいいじゃん、というのが人の常。
人間には、コマったちゃんと思われていたランタナ、調べてみると意外な面をもっていることがわかってきた。
以下は、review environmental science biotechnology誌からの引用ですが、
・ランタナを植えると、土壌の改良に効果
という園芸にうれしい効能ばかりでなく、
・シロアリ防除
・きのこ栽培に有効な繊維をもつ
・穀物につくゾウムシ燻蒸効果
・ホテイアオイ除草
といった有機的防虫効果のほかに、
・抗がん、抗潰瘍、抗高脂血症、抗炎症活性
など人体にも有効であったり、
・牛のデルマトフィルス症
・バイオエタノールやバイオガス産生
にも役立つという。
ほんとかなー
と思えるくらいいいことづくめじゃん。
京島のみなさんはこのランタナの効能をご存じでしたか!
そのうち、健康雑誌とかに「ランタナ療法」の特集とかのったりして。
けど、ランタナに困っている人もいるにはいるのは事実でしょうし、ありきたりではありますが、はやく研究成果の続報を待ちたいとおもいます。
出典)
A weed with multiple utility: Lantana camara
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by lascaux_deu
| 2016-01-23 17:48
台風が怒濤のように通り過ぎたかと思いきや、猛暑。
暑いです。
こんな暑さになる前に、押上で路上園芸学会さんの第2回大会が開催され、そこで発表の機会を頂戴しました。
その抄録をとどめておこうと原稿を探していたところ、第1回路上園芸学会大会(2014年3月30日@
鯛カフェ/東京都世田谷区代田4-10-24-101 )での草稿がありましたので、掲載しておきます。
そのなかで、プランツ・ウォークへの発展の経緯も語りかけ、「またの機会に」としていました。
第2回ではその機会を頂戴いたしました。
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はじめまして、ご紹介にあずかりました、
路地裏園芸観察学会の西澤と申します。
このたびは、栄えある路上園芸学会さんの第1回大会にゲストとしてお招きいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
まず、路上園芸学会さんと路地裏園芸観察学会と、何が違うのか、というギモンをみなさまおもちかと思いますが、現段階では未分化といいますか、おそらくあまり違わないのでは、というのがわたしの印象です。
ところで「路上観察学会」なる運動が赤瀬川原平さんらを中心に1980年代後半にたいへん盛り上がったことは、みなさまもご承知のことかと思います。
筑摩書房からいまも版を重ねている、すばらしい書籍がありますが、そのなかで学会(本書の取材当時はまだ学会創設以前)首脳陣による座談会において、以下のようなくだりがあります。
「藤森 すべてのものが対象だから。無限に材料はある。そうすると、国民一人一個路上観察みたいなことはあるんじゃないかな。(笑)
……
その内、路上観察が話題の中心で、『あなた何やっている』『いや僕は最近ブロック塀がね』。(笑)とか『僕は電信柱方面をチョット』とか。(笑)」
このなかの、「チョット」がまさに「路上園芸」であり、「路地裏園芸」であると思います。そして、路上園芸学会さんと当会の会話はまさに、
「最近は店舗の園芸が気になりまして…」「共通項ってきっとあると思いますよ」
などと、初対面にもかかわらず、会話が弾むのであります。
つまり、この藤森照信さんが予見したとおりに、路上や路地の園芸ウォッチングというジャンルがきっと2000年前後から全国各地で発生していただろうと予測されます。
で、当会がなにをやってきたかと申しますと、現在は「採集」段階です。理由もなく惹かれるシーンが路上にありまして、それに対してパチリとやる。そのパチリが僕の場合は、路地裏に潜んでいる園芸たちだったんです。そういう意味では、園芸は好きですけど、実際にみずからの手を園芸に染めることはほとんどありません。それはきらいとかイヤだというのではなく、興味はもちろんありますが、今週も「ナギ」という熊野神社のご神木からとった苗木という霊験あらたかな園芸品をわずか1カ月ちょっとで枯らしてしまいました(4500円もしたのに!)。アロエを枯らしたこともあります。アロエを枯らすというのは相当なもんです、それは路地裏園芸観察を続けているとよくわかります。アロエってよほどのことをしないと枯れない植物ですよね。それが枯れるということは、かなりな負のオーラか邪気が我が家には漂っているのではないかと想像されます。実際に、弱ったナギを購入した花屋さんに診てもらおうと持ち込んだところ、「この子はだれかの身代わりになって枯れたんです」と言われました。そんなこともありまして、わたしは「見るだけの園芸」に徹しようと決意し、気ままに園芸を楽しんでいるのです。見るだけ園芸でしたら、枯らすこともありませんし、水やりの心配もなく旅行にも行けます。
さて、我が身・我が家の実園芸ベタはさておき、当会の経緯と活動に触れてまいります。
学会創立は、ブログによりますと、2009年11月ころです。当初は携帯のカメラでただパチパチ撮っていただけでした。いまもそうですが。また、当初は学会名を「ドブ板園芸学会」と称し、事務所界隈をぶらぶらしながら路地裏の植物物件を物色採集していたのです。そのうち、ブログとかにあげるに当たり、植物の名前が分からないことには学会らしくない、という反省に立ち、当時仕事で接点のありました、園芸家の柳生真吾さんに「いっしょに街の植物を見て歩く企画をやりませんか」と持ちかけました。つまり、自分で調べるのではなく、植物にくわしい人しかも自分にとって敬愛する人物と採集に出かけるのがいちばんいいという、今にして思えば柳生さんに対してたいへん失礼きわまりない発想でした。それがのちの「プランツ・ウォーク」に発展していきます。それはまたの機会に。
活動はといえば、ぶらぶら町歩きとデジカメによる採集、気が向いたときにfacebookへのアップと分類です。将来的な夢はいろいろありますが、それは本会の最後にディスカッションの場があるようなので、そのときに。
さきほど、理由もなく惹かれる、と申し上げましたが、少しだけ補足しておきますと、個人的には江戸の園芸シーンへの憧憬、かぎりない憧れがあるのではないかと、自己分析的には思っています。R・フォーチュンの「江戸と北京」や「江戸名所花暦」などをめくるにつけ、ああ、江戸に生まれたかった、江戸時代に路地裏の園芸観察をしてみたかった、という思いがあります。もしデロリアンが目の前にありましたら、迷わず「1860年3月」と入力します。そして現在の駒込、当時染井村と呼ばれた、一大植木村、世界に誇る園芸都市江戸の心臓、園芸ではありませんが、ひところいわれたシリコンバレーに相当するものが染井村だったのではないかとも思っています。だってそこでは品種改良や遺伝子組み換え、クローンによる大量生産など科学の最先端をゆく研究がなされていたと思われるからです。長くなりますので、このへんで実際にわたしが採集してきた物件のおもなものをご紹介いたします。
まずは、路地園芸にのめりこむとどういう顛末を迎えるか、ということを実証していきたいと思います。
1 路地裏園芸の悲喜こもごも
● よくある路地の風景
● 玄関から発展・・・結界(防災・減災の発想。防火、泥棒除け、魔除け、ネコ除けなど)、装飾、風流
●次第に増殖
● 主従逆転—どちらが宿主か。植物のための自転車、家自体が鉢に
●やがて…手に負えない→放し飼い、住人の逃走、無縁園芸
2 鉢——何に植えるか
● トロ箱
● バケツ
● 風呂桶
● 洗濯機
● キャラクター鉢
● 防火用水桶
● 樽
● 直植えーーマウンド(鉢か庭か)
● スリット花壇
3 養生——手入れ方法
●ほぼ放置
● 荷造り紐
● ネット
● 格子や柵囲い
● ブロックやレンガ
駆け足ではありましたが、当会の標本の一部と分類についてご覧いただきました。分類といっても、もちろんこの限りではありませんし、同じ標本でも見るたびに見方が変わるものもあります。
ぜひ、みなさんも街に出ましたら、積極的に路地を歩いていただき、植物の気配のいるほうへと迷い込んでいただきたいと思います。そして、ちょっとでも心の琴線に触れるもの、そのときピンとこなくてもなにか変だぞ、と第6感を呼ぶものがありましたら、とりあえず写真にはおさめていただきたいと思う訳です。意外とあとからの発見があるものです。自転車だったら、いとわずに自転車から降りてシャッターを押しましょう。またこの道は通るからいいや、と思ってはいけません。植物、街は生き物です。ましてや園芸は植物の奴隷と化した市民たちが朝な夕なと手を入れています。アンリ=カルティエ・ブレッソンは、「決定的瞬間」と題する写真集を遺しましたが、一見ゆったりと変わらないようにみえる路地の奥にも、そのときだけの瞬間が潜んでいるのです。
(2014年3月)
蚕は桑しか食べない。
桑としてみれば虫に食べられたくはないけど、いまのところ蚕だけは許している。
桑は、いきものが糖分の分解をさせない毒素をもっていて、桑の葉を食べた昆虫は、重要な栄養源であるショ糖がとれずに死んでしまう。
桑の枝や葉に傷をつけると、白い乳液が流れ出るそうですが、わたしはまだ見たことがというか試したことがありません。
これが桑が虫から食べられないように考えて用意した防衛作戦なのですが、でも蚕だけにはそれが効かなかった、ということのようです。
つまり、蚕には桑のもつ毒素を回避する不思議な機構がそなわっているということです。
くわしくは、
「細胞工学」vol.34 No.2(2015年)に掲載予定の記事に譲るとして、これをお書きになった東京大学大学院農学生命化学研究科 生産・環境生物学専攻 昆虫遺伝研究室の嶋田透教授にお会いすることができました。
東京大学の桑園がみたいのですが・・という不躾なお願いにもかかわらず、年末の慌ただしい時間を割いてキャンパス内の桑を案内してくれました。
地図内の赤で示したところが、農学部キャンパス(弥生キャンパス)にある桑園です。
合計12アール、1000本は下回る量だと島田先生は控えめにおっしゃるが、都内から桑が消えつつあるのでは、と思い込んでいるわたしにとっては、都内の中心部に桑がまとまって見られるなんて、夢のような情報でした。
小1時間ほど桑にまつわるレクチャーをマンツーマンで受けて、いざマルベリーウォーキングへ。
もうわたしの目は桑だけを探すモードにスイッチが入っている。
どうもこの時期の葉の色味と木立の姿がアジサイに似ており、ついアジサイに反応してしまいます。
「これ、桑ですか!?」
すこし興奮気味に聞くと、
「そうですねー」
と先生。
桑園に行く前にもういた!
しかもけっこう背が高いですよ。
「こちらも桑ですか?」「そうですね」
自分のなかでは絶滅危惧種レベルの存在だっただけに、なんだかうれしい。
しかも何気なくキャンパスの樹木に紛れて枝を広げている。
道なき道を行く先生の後ろ姿を追いながら、「獣道のようですが」と、案内され辿り着いたところが地震研究所裏の圃場。
入り口にはチェーン式のロックがされており一般の人は入ることはできない。
昔、ラスコー洞窟を訪れたときのような気分だ。
誘われて入った先にはいくつかの桑の品種と、比較研究用のためかクヌギも植えられていた。
そして隣接するテニスコートからこの圃場をかくまうように、大きな桑が野放図に生えていた。
「これはもう伐らなきゃいけないんですけど、なかなか伐ってくれなくて」
とおっしゃるように、桑は根が深く、ただ伐ってもまた生えてくるし、完全に抜去するには根こそぎとらないとならないらしい。
その証拠か、となりの本郷キャンパスはかつて加賀藩前田氏の上屋敷で、屋敷内に桑園があったのではと先生が推察されているように桑が生えているというのです。
その根拠に、先生は明治維新直後の桑茶政策を挙げます。
国宝級の大名屋敷が畑と化した悪政だったらしいですが、なにしろ土地を有効活用しようとなるとなにか作物をつくることになる。
なにを作るかというと、当時換金するんだったら蚕でもやろうじゃないか、ということだったのでしょう。
でも見よう見まねで下級武士が行った養蚕が世界ブランドだった日本の生糸のクオリティになることもなく、そして桑の根っこを残したまんま、明治10年に東京大学が創設されたと。
後半は、圃場でもないのに桑が散見されるという本郷キャンパスへと続きます。
#
by lascaux_deu
| 2014-12-26 15:43
| 文京区
「プラント・インベーダー」という言葉をご存知だろうか。
「侵略的外来植物」という訳が日本語では与えられている。
そのことを記したかったわけではないのだが、
調べているうちについ注文してしまった「日本帰化植物写真図鑑(第2巻)」のamazonの紹介文によると、
「
「日本帰化植物写真図鑑」(第1巻)の発行から9年が経過。
この間に帰化植物は年々増え続けて、
最近では帰化植物は1,200種ともいわれています。
第1巻発行後、「日本帰化植物友の会」や「帰化植物メーリングリスト」などを通じて、
第1巻未掲載の帰化植物を中心に情報の収集に努めた結果、約500種に達したため、
第2巻発行の運びとなりました。」
なんか、ちょっとうれしそうである。
いや、うれしいわけではないとは思うが、ちょっと文面からそんな気がした。
失礼しました。
おそらくこの現状を憂えて丹念に情報を集め、市井の私たちに警鐘を鳴らすために、
寝食も惜しんで本書の執筆に力を注いだことは想像にかたくない。
さて、第1巻を紹介した日本雑草学会の学会誌「雑草研究」では、
明治開闢以来130年間で、帰化植物は約800種とある。
それまで帰化植物図鑑はおよそ30年間隔で発行されてきたそうだが、
ここにきて、なんとたった9年で第2巻を出版せざるをえないという勢い。
これはいったいどういうことだろう。
日本列島はまさに外来植物にとって天国、無法地帯と化しているということなのだろうか。
その原因は温暖化なのか、はたまたグローバル化の結果なのか。
わたしはこの恐るべき現象そして実態に迫るため、街に出ることにした。
あるひとつの仮説をたずさえて。
つづく。
#
by lascaux_deu
| 2014-06-20 00:37
| 考察