台風が怒濤のように通り過ぎたかと思いきや、猛暑。
暑いです。
こんな暑さになる前に、押上で路上園芸学会さんの第2回大会が開催され、そこで発表の機会を頂戴しました。
その抄録をとどめておこうと原稿を探していたところ、第1回路上園芸学会大会(2014年3月30日@
鯛カフェ/東京都世田谷区代田4-10-24-101 )での草稿がありましたので、掲載しておきます。
そのなかで、プランツ・ウォークへの発展の経緯も語りかけ、「またの機会に」としていました。
第2回ではその機会を頂戴いたしました。
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はじめまして、ご紹介にあずかりました、
路地裏園芸観察学会の西澤と申します。
このたびは、栄えある路上園芸学会さんの第1回大会にゲストとしてお招きいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
まず、路上園芸学会さんと路地裏園芸観察学会と、何が違うのか、というギモンをみなさまおもちかと思いますが、現段階では未分化といいますか、おそらくあまり違わないのでは、というのがわたしの印象です。
ところで「路上観察学会」なる運動が赤瀬川原平さんらを中心に1980年代後半にたいへん盛り上がったことは、みなさまもご承知のことかと思います。
筑摩書房からいまも版を重ねている、すばらしい書籍がありますが、そのなかで学会(本書の取材当時はまだ学会創設以前)首脳陣による座談会において、以下のようなくだりがあります。
「藤森 すべてのものが対象だから。無限に材料はある。そうすると、国民一人一個路上観察みたいなことはあるんじゃないかな。(笑)
……
その内、路上観察が話題の中心で、『あなた何やっている』『いや僕は最近ブロック塀がね』。(笑)とか『僕は電信柱方面をチョット』とか。(笑)」
このなかの、「チョット」がまさに「路上園芸」であり、「路地裏園芸」であると思います。そして、路上園芸学会さんと当会の会話はまさに、
「最近は店舗の園芸が気になりまして…」「共通項ってきっとあると思いますよ」
などと、初対面にもかかわらず、会話が弾むのであります。
つまり、この藤森照信さんが予見したとおりに、路上や路地の園芸ウォッチングというジャンルがきっと2000年前後から全国各地で発生していただろうと予測されます。
で、当会がなにをやってきたかと申しますと、現在は「採集」段階です。理由もなく惹かれるシーンが路上にありまして、それに対してパチリとやる。そのパチリが僕の場合は、路地裏に潜んでいる園芸たちだったんです。そういう意味では、園芸は好きですけど、実際にみずからの手を園芸に染めることはほとんどありません。それはきらいとかイヤだというのではなく、興味はもちろんありますが、今週も「ナギ」という熊野神社のご神木からとった苗木という霊験あらたかな園芸品をわずか1カ月ちょっとで枯らしてしまいました(4500円もしたのに!)。アロエを枯らしたこともあります。アロエを枯らすというのは相当なもんです、それは路地裏園芸観察を続けているとよくわかります。アロエってよほどのことをしないと枯れない植物ですよね。それが枯れるということは、かなりな負のオーラか邪気が我が家には漂っているのではないかと想像されます。実際に、弱ったナギを購入した花屋さんに診てもらおうと持ち込んだところ、「この子はだれかの身代わりになって枯れたんです」と言われました。そんなこともありまして、わたしは「見るだけの園芸」に徹しようと決意し、気ままに園芸を楽しんでいるのです。見るだけ園芸でしたら、枯らすこともありませんし、水やりの心配もなく旅行にも行けます。
さて、我が身・我が家の実園芸ベタはさておき、当会の経緯と活動に触れてまいります。
学会創立は、ブログによりますと、2009年11月ころです。当初は携帯のカメラでただパチパチ撮っていただけでした。いまもそうですが。また、当初は学会名を「ドブ板園芸学会」と称し、事務所界隈をぶらぶらしながら路地裏の植物物件を物色採集していたのです。そのうち、ブログとかにあげるに当たり、植物の名前が分からないことには学会らしくない、という反省に立ち、当時仕事で接点のありました、園芸家の柳生真吾さんに「いっしょに街の植物を見て歩く企画をやりませんか」と持ちかけました。つまり、自分で調べるのではなく、植物にくわしい人しかも自分にとって敬愛する人物と採集に出かけるのがいちばんいいという、今にして思えば柳生さんに対してたいへん失礼きわまりない発想でした。それがのちの「プランツ・ウォーク」に発展していきます。それはまたの機会に。
活動はといえば、ぶらぶら町歩きとデジカメによる採集、気が向いたときにfacebookへのアップと分類です。将来的な夢はいろいろありますが、それは本会の最後にディスカッションの場があるようなので、そのときに。
さきほど、理由もなく惹かれる、と申し上げましたが、少しだけ補足しておきますと、個人的には江戸の園芸シーンへの憧憬、かぎりない憧れがあるのではないかと、自己分析的には思っています。R・フォーチュンの「江戸と北京」や「江戸名所花暦」などをめくるにつけ、ああ、江戸に生まれたかった、江戸時代に路地裏の園芸観察をしてみたかった、という思いがあります。もしデロリアンが目の前にありましたら、迷わず「1860年3月」と入力します。そして現在の駒込、当時染井村と呼ばれた、一大植木村、世界に誇る園芸都市江戸の心臓、園芸ではありませんが、ひところいわれたシリコンバレーに相当するものが染井村だったのではないかとも思っています。だってそこでは品種改良や遺伝子組み換え、クローンによる大量生産など科学の最先端をゆく研究がなされていたと思われるからです。長くなりますので、このへんで実際にわたしが採集してきた物件のおもなものをご紹介いたします。
まずは、路地園芸にのめりこむとどういう顛末を迎えるか、ということを実証していきたいと思います。
1 路地裏園芸の悲喜こもごも
● よくある路地の風景
● 玄関から発展・・・結界(防災・減災の発想。防火、泥棒除け、魔除け、ネコ除けなど)、装飾、風流
●次第に増殖
● 主従逆転—どちらが宿主か。植物のための自転車、家自体が鉢に
●やがて…手に負えない→放し飼い、住人の逃走、無縁園芸
2 鉢——何に植えるか
● トロ箱
● バケツ
● 風呂桶
● 洗濯機
● キャラクター鉢
● 防火用水桶
● 樽
● 直植えーーマウンド(鉢か庭か)
● スリット花壇
3 養生——手入れ方法
●ほぼ放置
● 荷造り紐
● ネット
● 格子や柵囲い
● ブロックやレンガ
駆け足ではありましたが、当会の標本の一部と分類についてご覧いただきました。分類といっても、もちろんこの限りではありませんし、同じ標本でも見るたびに見方が変わるものもあります。
ぜひ、みなさんも街に出ましたら、積極的に路地を歩いていただき、植物の気配のいるほうへと迷い込んでいただきたいと思います。そして、ちょっとでも心の琴線に触れるもの、そのときピンとこなくてもなにか変だぞ、と第6感を呼ぶものがありましたら、とりあえず写真にはおさめていただきたいと思う訳です。意外とあとからの発見があるものです。自転車だったら、いとわずに自転車から降りてシャッターを押しましょう。またこの道は通るからいいや、と思ってはいけません。植物、街は生き物です。ましてや園芸は植物の奴隷と化した市民たちが朝な夕なと手を入れています。アンリ=カルティエ・ブレッソンは、「決定的瞬間」と題する写真集を遺しましたが、一見ゆったりと変わらないようにみえる路地の奥にも、そのときだけの瞬間が潜んでいるのです。
(2014年3月)